奈良/畝傍郵便局

(確認前のデータ)
・橿原神宮神楽殿(国重文)とはにわを描き、畝傍山を配す
使用開始:2009(平成21)年6月1日
橿原市です。
使用開始日は局名変更によるもので、意匠自体は1988(昭和63)年2月23日から使われています。当初「畝傍」で使用開始し、途中「橿原久米」に改称し、また「畝傍」に戻ったという歴史があります。ちなみに画面左に描かれた橿原神宮神楽殿は、1993年2月4日に火災焼失し3年後に再建されたため、現在は重要文化財ではなくなっています。
気になるのは画面右に描かれた人物埴輪です。この埴輪の絵は歴史が古く、風景印には1952(昭和27)年から使われていました。
↓こちらは昔のカタログです。当時は橿原局と畝傍局で同じ意匠が使われていました。現在よりも解説文が具体的で、「橿原で発掘した埴輪土偶」とあります。「埴輪土偶」という単語も謎な感じですが(埴輪は古墳時代、土偶は縄文時代の遺物なので、普通は別なカテゴリとして扱う)、昔はそう呼んだのでしょうか。図案者は加曾利鼎造さんです。このブログ的には川治の風景印とかを描いた人で、どちらかというと写実的な作風の人です。加曾利さんにしては背景の描き込みがあっさりしてる気もする。

(「郵政省郵務局監修 風景入通信日附印集 第一集」明世社 1958(昭和33)年3月20日発行)
で、これはどこから出土した埴輪だろうか。解説文には「橿原で発掘した」とあるものの、市史にはそれらしい埴輪はありませんでした。
では、当時なぜ埴輪を描こうと思ったのか。そのきっかけになるような出来事がないか…と年表を見ると、1951(昭和26)年に橿原考古学研究所が設置されたとあります。そこの収蔵品とか、または調査に関わった何かでしょうか。そうなると、おそらく局に聞いてもわからないだろうと思ったので、今回は先に県立図書館に質問してみました。県内で発掘された埴輪をまとめた書籍があれば、そこに載っているかも(今回は局へは直接質問していません)。
お返事です。
奈良県立図書館「風景印の埴輪に関する資料は当館にはありませんでした。畝傍郵便局にも確認しましたが、出土地は分からないそうです。橿原考古学研究所にも確認しましたが、橿原付近では出土していないとのことでした。このような形の埴輪は、関東地方で出土しているものだそうです。」
所蔵資料の確認の他に、局と考古学研究所にも聞いてくださったそうです。わざわざすみません。ありがとうございます。
何となく予想していた通り、どこか別なところで出土したものらしいことは分かりましたが、そもそもそれが県内ですらない可能性が出てきて若干途方に暮れました。
仕方ないので自力で探すことにしたのですが、これほんと、見たことあるようなないような感じなんですよね…。ポイントはトサカみたいな頭の飾り?が左半分「だけ」についてるとこだと思います。男性か女性かで言ったら女性でしょうか。「埴輪」に「盛装女子」とか「巫女」とか知っている単語をくっつけて、あとは「関東っぽい」という話だったので「栃木」とか「群馬」とかをつけてあれこれ画像検索してみました。
1件、気になる画像がありました。なぜかヒットした、宮崎市内の「はにわ園」という施設の画像。↓このページのトップの画像がすごく似ています。
はにわ500体がお出迎え「はにわ園」を歩く - エキサイトニュース
この「はにわ園」の埴輪を作ったのは本部マサ(ほんぶ・まさ)さん(1907〜1991)という西都市出身の女性で、全国各地から出土した埴輪を模した作品を作り続け、1963年に開園した「はにわ園」にはそのうちの数百点が屋外展示されているという、これはこれで面白い施設なんですが、その彼女が製作した埴輪群(踊る人とか挂甲武人とか、主に関東産の埴輪)に混じってトップに掲載されていたのが件の畝傍の埴輪らしき作品。これ、かなり実物に忠実に作られているのではないでしょうか。頭の左半分だけの飾り(?)に、首飾りをつけ、胸に乳房のような表現があり、その間に三角形の模様のついた服の合わせ部分が縦に描かれている。それから、(これは後で気づいたことですが)埴輪にありがちな円筒形の台部分が「存在しない」。だいぶイメージがはっきりしてきました。
で、これらを念頭にその後も探したところ、なんと、あったんですよ。↓こちらです。東大のコレクション紹介のページ。
石器・土器・金属器(日本)
畝傍の風景印に描かれた埴輪は、栃木県宇都宮市雀宮の菖蒲塚(あやめづか)から出土した埴輪女子像で、東大の博物館が所蔵しているものでした。1958年に重文指定されています。上記ページのトップの画像では肝心の頭の表現が違うので一瞬別物じゃないかと思うのですが、この埴輪は1959年頃に盗難に遭い、その際に盗人によって大幅に加工が施されてしまったため、元の姿からはかなり変貌しているのだそうです。頭の飾りみたいに見えたものは頭髪の表現が部分的に残った(?)もので、それも盗まれていた間に左右対称に作り直されてしまったということです。
↓加工される前の写真がこちらです。

(「人類学写真集 埴輪土偶之部」東京帝国大学編 1920(大正9)年3月25日発行)→NDLデジコレ(7コマ目)
写真と意匠の埴輪を見比べると、腕の継ぎ跡とか、左裾の欠けた部分とか、額の左側の凸凹とか、細部がきちんと再現されていることが分かって面白いです。加曾利さん、この写真だけじゃなくて実物も見に行ったのかもしれません。写真でははっきりしない部分も描かれているし、そんな気がする。
本のタイトルには「埴輪土偶」の文字もあります。だから古い本の意匠解説に「埴輪土偶」って書いてあったのか。あれもちゃんとヒントになっていたわけです。奥が深い…。
風景印の埴輪もはにわ園の埴輪も、盗難に遭う前の状態を表現しているわけで、これはこれで貴重な記録と言えるかもしれません。畝傍の風景印としては図案ミスですが、折角なのでこのまま使い続けて欲しいなと個人的には思います。
ところで、はにわ園の本部マサさんは、どうやら宮崎に埴輪イメージを定着させるきっかけになった人物らしいのですが、彼女が作品のモデルとして利用した埴輪の主な出土地が県外であったため、「宮崎から出土していない埴輪が宮崎の観光PRに利用される」という、(現在から見るとあまり良くない)状況をも生み出すことになったそうです。
風景印の世界にもその影響が出ているのでは?と個人的に思っているのが以下の意匠です↓。

宮交シティ内郵便局 宮崎県宮崎市
青島の全景を描き、埴輪とソテツを配す
使用開始:1991(平成3)年4月1日
武人や馬の埴輪が描かれていますが、おそらくどちらも現地出土ではないと思うのですよね。あまり深く追求していないのですが、特定の遺跡を表す出土品というよりは「埴輪で有名な宮崎のイメージ」的にふわっと捉えた方がいいのかもしれません。
↓こちらはだいぶ古いので、また別な事情かもしれませんが、これもやはり現地出土ではないと思われる人物埴輪の例。

西都郵便局 宮崎県西都市
鬼の窟古墳を背景に、はにわとまが玉を描く
使用開始:1957(昭和32)年12月1日
(旧「妻」局、1953(昭和28)年6月10日使用開始)
畝傍と同様、多分現地とは関係ないんですが、だからといって廃止してしまうには惜しい親しみやすさがあります。このまま何となく生き残ってくれたらなあ、と思っています。
お返事ありがとうございました。
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