埼玉/羽生三田ヶ谷郵便局

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(確認前のデータ)
・天記ムジナモの花と沼、田舎教師記念碑を描く
(使用開始:平成4年1月16日)

羽生市です。局は羽生駅から東に6kmぐらい行って、東北自動車道を超えたあたりにあります。さいたま水族館の近く。
「天記ムジナモ」は国天記「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」を指しています。↓市のページの解説。
国指定天然記念物「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」について | 羽生市

今回のテーマは、画面にもう一つ描かれた「田舎教師」碑です。
羽生は田山花袋の小説「田舎教師」の舞台で、それにちなんだ風景印が2箇所にあります。羽生局(本局)と、今回の三田ヶ谷局。「田舎教師」のテキストは↓こちらで公開されています。(※長編です)
図書カード:田舎教師 (青空文庫)

印面によると、三田ヶ谷局の石碑には「田舎教師由縁之地」と刻まれているようです。この石碑は作中で主人公が勤務していた「弥勒高等小学校」跡にある、と7年ぐらい前に自分で検索して作ったメモには書いてあったのですが(だいぶ前のことなので既に忘れている)、最近文学者と風景印(2)を書くに当たって改めて画像検索したら、なぜか意匠とは違う石碑がたくさん出てきました。↓こんな感じの。


↑画面中、青枠内の石碑が弥勒高等小学校跡に現在あるものだと思うんですが、風景印に描かれたものとは形が違います。
一方、赤枠内の石碑は、形は風景印と似ていますが、碑文が全く読み取れません。どうなってんだろうこれ。
もしかしたら建て替えられているのではないか?ということで、詳細確認のために現地を見てきました。(今回は局へ直接質問はしていません。すみません)


田舎教師関連の石碑が市内に結構たくさんあるので、まずは図書館併設の郷土資料館に行ってみました。図書館の入口付近に一部屋分の展示とビデオコーナーがあり、職員さんは展示スペースに常駐はしていないのですが、図書館の職員さんに取り次ぐと来てもらえるシステムです。
↓郷土資料館のパンフに掲載されていた散策マップ。羽生駅前の「田舎教師モデルの墓」と書かれた場所(建福寺。羽生局のすぐ隣)には羽生局の風景印に描かれた「田舎教師」碑、(5)の「田舎教師像」のそばには件の弥勒高等小学校跡碑があります。他にも風景印の題材になった勘兵衛松とか川俣関所跡とか色々載っていて便利。(クリックで拡大)


郷土資料館の職員さんに質問してみたところ、案の定
弥勒高等小学校跡の碑は老朽化で10年ほど前に建て替えられたそうです
というお返事でした。ああやっぱり。しかも数年前に私がメモを作る以前でしたね。当時はまだ新しい碑の画像を上げている人が少なくて気がつかなかったんだと思います。

でも折角来たのであちこち見て回ることにしました。まずは駅前の羽生局で風景印をもらって、隣の建福寺に行きました。

・天記ムジナモとその花、田舎教師碑、勘兵衛松並木、川俣関所跡碑
(使用開始:昭和51年5月20日)

モデルになった小林秀三(こばやしひでぞう)さんのお墓は、「田舎教師墓入口」と書かれた場所からまっすぐ入って突き当たりにあります。
墓碑に向かって左に、羽生局の風景印に描かれた「田舎教師」碑があります。この碑文は小杉放庵によるもので、「田舎教師」の下に小さく「花袋翁作中の人此処に眠る」と書かれています。(小杉放庵は洋画家ですが、今年の話題的なことでいうと押川春浪主催の「天狗倶楽部」にも所属していた人です)


同じスペースにあった小さな石碑。こちらは平成15年作で、田舎教師の「運命に従ふ者を勇者といふ」という有名なフレーズが刻まれたもの。


墓地から出ると、目の前にもう一つ石碑が建っていました。これは「文豪巡礼記念句碑」と呼ばれるもので、昭和13年4月に川端康成・横光利一・片岡鉄兵の3名が「田舎教師遺跡巡礼の旅」と称して羽生を訪れたことを記念して作ったものだそうです。句は横光作で「山門に木瓜咲きあるる羽生かな」。この時の話は片岡鉄兵が「文学的紀行」というタイトルで書いています(古いものはデジコレで読めます。カメラ小僧状態の川端くんとか、突然「鯰が食べたい」とか言い出す横光くんとか色々自由で面白いです)。


続いて弥勒高等小学校跡へ。
ここは三田ヶ谷局のすぐ近くで、道路横の小さなスペースに田舎教師像と弥勒高等小学校跡碑がありました。弥勒高等小学校は明治19年創立で、主人公が勤務していたのは明治34〜37年。その後、明治42年には廃校になっています。
↓問題の石碑です。(写ってないですが、画面の右に10mくらい離れた所に田舎教師像が立っています。バス停の名前も「田舎教師像前」です)




これも「運命に従ふものを〜」の碑ですが、折角なので全文↓。


 絶望と悲哀と寂寞とに
 堪へ得られるやうな
 まことなる生活を送れ
 絶望と悲哀と寂寞とに
 堪へ得らるる如き勇者たれ
 運命に従ふものを勇者といふ
        『田舎教師』より


裏面には「この度風化が進んだので建て替えたものである」と書かれていました。建立は2009年10月20日で、「田舎教師」出版100年に合わせて作ったものだそうです。

これ、建て替え前の写真がどこかにないかな〜と思いつつウロウロしていたところ、↓こちらにたどり着きました。石碑から西へ200mぐらい行ったところにある「円照寺」境内の「お種さんの資料館」。
「お種さん」というのは「田舎教師」に近所の料理屋の娘として登場する人物で、作中で主人公にお弁当を届けたりしている人です。本名は「小川ネン」さん。こういう、虚構と現実の間に位置する実在人物の資料館って時々ありますけど(以前もあった。天保水滸伝遺品館とか)、ここまで一般人に近い人のはなかなか見ない気がします。(すごく好きです)写真の手前、敷地の門を入る直前にお種さんのお墓も作られています。ちゃんと新しい花があって、よく手入れされてました。


「お種さんの資料館」にはまさかの記念スタンプがありました。うわあ嬉しい。ありがとう!ありがとう! わざわざここまで来て良かったです。折角なので先ほどもらった本局の風景印と一緒に押しておきました。(この日は休日で三田ヶ谷局は開いていなかったので)


展示は主に小川屋で使われていた道具類やネンさんの書簡、機織(藍染)関連の道具、あと実際に小林さんが教えていた生徒さんの教科書や卒業証書などでした。




さっきの巡礼句碑の記念写真もあった。撮影者は川端康成で、写っているのが片岡(左)&横光(右)。風が強そうですね…。
この他に句碑の拓本も飾ってありました。句碑自体はだいぶ読みにくくなっているのでありがたい。


これらに混じって、風景印の石碑の写真を見つけましたよ。やった!


ちゃんと消印通り「田舎教師由縁之地」って書いてある。これだ、これが見たかったのだ。
この石碑は昭和29年(1954年)に建てられたそうです。石は秩父青石で、除幕式が行われたのが5月5日。引用されている文章は現在建っているものとほぼ同じ部分で、揮毫は「埼玉県文化財専門調査委員 山口平八」と書かれていました。すごく達筆で、趣があって良いと思う。風化が惜しまれます。
昭和50年代に「田舎教師研究」っていう雑誌が何冊か出たことがあるんですが、そこにこの石碑のことをはじめ、羽生市と田舎教師の関わりについて必要な資料が大体まとめられていました。巡礼の時に作家たちが撮った写真なんかも(小さいですが)何枚か載っているので、興味のある方はそちらを。

ということで、石碑の実物がなくなってしまったのは残念でしたが、きちんと資料が残されていたし、今回もあれこれ面白いものが見られて良かったです。ありがとうございました。
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