文学者と風景印(2)

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昨年「文学者と風景印」というタイトルで、オンラインゲームに登場する文豪を取り扱った風景印をいくつか紹介したのですが、その続編です。
新しいキャラクターも増えたのでその補遺と、前回扱わなかったものをざっと紹介していきます。…数が多いので、画像を載せきれなかったところもあります。局名はできるだけ挙げましたので、各自検索で補完していただけると嬉しいです。よろしくお願いします。webで読める作品は青空文庫などのリンクも貼っているので、お時間ありましたら一緒にどうぞ。
この記事の主旨は「聖地巡礼のついでに風景印」です。ブンゴーゆかりの地を訪れて、そこにブンゴーのハンコがあったら押して欲しい。自分用に収集したり、同じ趣味のお友達に報告がてら送ったりしてほしい。そんな気持ちでまとめています。ただし風景印に取り上げられる作家は結構偏っているので、まずはページ内検索して、推し作家の名前がなかったら引き返しましょう(すみません)。


前回そんなに紹介しなかったのですが、石川啄木の風景印がとにかく多いので、まずはそちらを挙げていきます。主に出身地である岩手県内と、仕事で住んでいた函館、釧路に数箇所ずつあります。
前回盛岡ホットライン肴町局の風景印(啄木と賢治の肖像)を紹介しましたが、それ以外で岩手関連のものをいくつか。主に石碑です。
渋民局と好摩局。啄木が育った場所で、作品の舞台になったりタイトルに使われたりもしている地名です。どちらも同じ石碑が描かれており、「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」という有名な歌が刻まれています。啄木の碑の中でも古く、大正11年の十周忌の際に建てられました。
盛岡市内では、盛岡内丸局に盛岡城跡の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の碑。この石碑は昭和30年作で、碑文を金田一京助が担当しています。
盛岡大通局に描かれているのは、大通二丁目の「少年啄木像」。台座には「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど」という「悲しき玩具」収録の歌が刻まれています。
この他に玉山局には生誕地である常光寺、平舘局にはこれも有名な「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」の碑が描かれた風景印があります。


(渋民:姫神山、石川啄木の歌碑、石川啄木記念館)
(好摩:旧渋民村の石川啄木の歌碑、姫神山の遠望、スズラン)
(盛岡内丸:不来方城跡から望む岩手山、石川啄木の歌碑)
(盛岡大通:岩手山、開運橋、石川啄木像、市花・カキツバタ)
(函館日乃出:石川啄木座像、ハマナス、函館山)
(釧路大町:旧釧路新聞社社屋(港文館)、石川啄木像)


函館日乃出局の風景印には啄木小公園にある石川啄木座像。正面像かつ大きめに描かれていて使いやすい図案です。台座に刻まれた歌は「一握の砂」からで「潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ今年も咲けるや」。
釧路大町局に描かれているのは釧路川沿いの港文館の前にある啄木像で、「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」という歌が刻まれています。
この2つは本郷新(ほんごう・しん)さんという同じ人が作ったものです。札幌彫刻美術館のページに詳細が。
本郷新について|本郷新記念札幌彫刻美術館
本郷新さんは風景印的には有名な人で、稚内局の「氷雪の門」や、真駒内上町局の「雪華の像」なども作っています。

歌人や俳人の風景印は数が多いです。各地でご当地感のある作品を生んでいることや、石碑が多く図案に取り入れやすいことなどが要因と思われます。逆に、石碑を始め記念館や生家といったランドマークがない作家は消印にもなりにくく、その代表が芥川龍之介といえます(明確に芥川を主題とした風景印はありません)。

啄木と並んで多いのは若山牧水です。
出身地の宮崎県では延岡局に「なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに」の歌碑、坪谷局には生家と牧水像が描かれています。延岡局の歌は昭和2年、朝鮮旅行の帰りに坪谷へ立ち寄った際に作られたものだということです。
若山牧水 – 延岡観光協会

牧水の最も有名な歌の一つに「幾山河こえさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」というものがありますが、この歌を題材にした風景印が、それを詠んだと言われる岡山県の旧哲西町に2箇所と、晩年居住していた静岡県沼津市に1箇所あります。沼津の方が碑文が読みやすいのでそちらを。局から500mぐらいのところに牧水記念館があるので一緒に訪問できます。


(延岡:城山公園の時鐘堂と若山牧水の歌碑、大瀬川の鮎やな)
(坪谷:歌人・若山牧水の生家、牧水像)
(沼津下河原:千本松原、若山牧水歌碑、富士山)


沼津の牧水記念館には先日行ってきたのですが、徒歩圏内に居宅跡、歌碑、記念館、墓地、郵便局といったポイントが集まっているので廻りやすくて良かったです。↓記念館にあった記念スタンプと風景印。左下の小さいスタンプは牧水愛用印を模したものだそうです。


↓スタンプの置かれている机が、実際に牧水が使っていた机(!)だったりしました。座って記帳とかアンケート書いたりとかできます。


群馬県の旧六合村には、牧水像つきの詩碑があります。暮坂峠の「枯野の旅」碑で、歌碑ではなく詩碑、というところがポイント(牧水関連では初めての詩碑だそうです)。同じ碑を異なったアングルから描いた風景印が六合局と沢渡局にあります。詩は↓こちらから読めます。
若山牧水 樹木とその葉 枯野の旅 —青空文庫

神奈川県の北下浦局には牧水夫妻の歌碑。夫婦で登場する石碑は珍しいんじゃないでしょうか。牧水作のはこれも有名な歌で「しら鳥はかなしからずやそらの青海のあをにもそまずたゞよふ」、喜志子夫人作は「うちけぶり鋸山も浮び来と今日のみちしほふくらみ寄する」。


(六合:野反湖、若山牧水の詩碑、旧六合村花・レンゲツツジ)
(沢渡:有笠山、若山牧水の詩碑、沢渡温泉街)
(北下浦:若山牧水夫婦碑、長岡半太郎記念館・若山牧水資料館)


北原白秋も各地に風景印が点在している一人です。前回は千葉県・菅野局の風景印を紹介しましたが、それ以外だと出身地の柳川局(福岡県)に「帰去来」の詩碑、三浦局(神奈川県)には「城ヶ島の雨」の詩碑、ほか石碑を描いた風景印が点々としています。
湯檜曽局(群馬県)の風景印に描かれているのは「こごしかる湯桧曽の村や片谿と日ざしたのめて冬はありつつ」の碑。場所が分かりにくいのですが、座標で言うと(36.809772, 138.986077)あたりです。(ストリートビューでR291から西側を見ると小さく見えます)


(柳川:国道橋橋畔の風景(掘割と柳の並木)、白秋詩碑)
(三浦:城ヶ島、北原白秋の詩碑(変形)、マグロ)
(湯檜曽:湯檜曽温泉、北原白秋の歌碑、谷川岳一ノ倉沢の岩壁)


伊藤左千夫。歌人ですが、風景印は小説「野菊の墓」を題材としたものの方が多く、出身である千葉県内にいくつかあります。


(松戸矢切:矢切の渡し、野菊の墓文学碑)
(成東:小説「野菊の墓」の政夫と民子、九十九里浜の波、野菊)
(緑海:勝覚寺の県有文「木造四天王立像」、成東海岸の伊藤左千夫の歌碑、釣り人)


松戸矢切局の風景印は野菊の墓文学碑を描いたもので、似た絵柄(これに梨を加えたもの)が松戸局でも使われています。碑文は「野菊の墓」の本文から3箇所、主に矢切の風景を抜粋してつないだもので、門人であった土屋文明の撰文。先日行ってみましたが、局は松戸駅と市川駅を結ぶバス路線沿いでアクセスが良かったです。文学碑は局から西に徒歩5分ほどで、近くに小さな展望スペースがあり、江戸川方面(矢切の渡しがある方)を眺められるようになっています。


成東と緑海は出身地の山武市。成東局の政夫と民子像は伊藤左千夫記念公園にあるもので、駅から山武市歴史民俗資料館(左千夫生家がある)へ歩く途中に立ち寄ることができます。↓ちなみにこの像は初刊本の口絵(右)を元に作ったもので、これを描いたのは中村不折。中村不折は亀戸の普門院にある左千夫の墓碑銘も書いている他、漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を描いたり、三鷹の禅林寺にある鴎外の墓碑銘を書いたりしている人です。


緑海局の説明で「成東海岸」の歌碑と書かれているのは正確には「本須賀海岸」の歌碑です。「天地の四方の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り」という歌が刻まれています。一緒に描かれている仏像は増長天(お寺のページに解説があります)。

左千夫の門人で斎藤茂吉。ゲームに実装されてはいませんが、そのうち来るのでは(※追記:2020年5月8日実装されました)。茂吉の風景印も多く、これまたあちこちに点在しています。出身地である上山市を始め山形県内に4局、その他には東京都(元浅草局)、島根県(粕淵局)、長崎県(長崎桜町局)など。上山局に描かれているのはみゆき公園の歌碑で、「あしびきのやまこがらしのゆく寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも」。他、市内に茂吉記念館を描いた風景印が2箇所あります(上山旭町局、上山十日町局)。少し離れますが同じ山形県内の肘折局にも「肘折のいでゆ浴みむと秋彼岸のはざま路とほくのぼる楽しさ」の歌碑が描かれた風景印があります。


(上山:蔵王のお釜(変形)、上山城、斎藤茂吉碑、温泉マーク)
(元浅草:浅草寺雷門の提灯(変形)、斎藤茂吉の歌碑)
(長崎桜町:路面電車、桜町公園の斎藤茂吉の歌碑、桜)


元浅草局の歌碑は三筋老人福祉館と三筋保育園が並んだ敷地の中にあり、「浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光の如や」の碑。三筋町は茂吉が十五歳で上京した頃に住んでいた場所です(石碑の右奥の看板に解説があります)。


長崎桜町局には桜町公園の「あさ明けて船より鳴れる太笛のこだまは長し並みよろふ山」の碑が描かれています(ほぼ省略されてますが)。詳細は↓こちらで。
ナガジン!

高浜虚子。風景印のカタログを検索してヒットするのは長野県・小諸与良局の1件だけですが、他に岩手県の湯本温泉局の風景印に「子規の句碑」として描かれている碑も、実は子規の句と一緒に虚子の句が刻まれているという「二人句碑」です。句碑は湯本温泉句碑公園にあり、石碑前面の右側に子規の句「山の湯や裸の上の天の川」、左に虚子の句「夏蔭のこの道を斯く行きたらん」が刻まれています。子規の句は東北旅行に出た明治26年(1893年)頃の作で、虚子の句はそれから30年あまり経った昭和2年(1927年)に当地を訪れた際の作。虚子が「この道を斯く行きたらん」と思いを馳せているのが在りし日の子規、ということでしょうか。(合ってますか?)


(湯本温泉:和賀川に架かる山室橋、正岡子規の句碑、温泉マーク)
(小諸与良:梅の花(変形)、浅間山、重文「小諸城三之門」(懐古園)、高浜虚子の石碑)


虚子の句碑は、古いものに関しては本山桂川著「虚子翁句碑(1956)」という本が詳しかったです。全国の虚子の句碑を巡りつつ拓本をとっていく、という本ですが、この句碑の拓本も掲載されていました。こちらです。↓

本山桂川「虚子翁句碑」新樹社(1956)p.66

本山桂川は文学碑関連の本をたくさん出している人で、この記事(前回も)を書くにあたって著書を参考にさせていただきました。何冊かNDLデジコレの送信対象になっているものがあります。
ちなみに子規と虚子の二人句碑はこの他にもあります。神戸市の須磨浦公園にあるものが有名。

小諸与良局に描かれているのは小諸野岸幼稚園の横にある「笠石の句碑」と呼ばれるもので、「秋晴の浅間仰ぎて主客あり」という句が刻まれています。↓PDFですが、小諸の文学碑を集めたパンフレットに簡単な紹介がありました。
高原の城下町小諸 文学碑めぐり
なお創作物では何かと虚子とセットで扱われる河東碧梧桐ですが、明確に碧梧桐を題材として作られた風景印は今のところありません。今後に期待。

高村光太郎は2点。智恵子ゆかりの福島県・安達局と、彫像のある青森県・十和田湖局。
安達局の碑は「智恵子の杜公園」に昭和58年に建てられたもので、「樹下の二人」が刻まれています(風景印と微妙に形が違うのですが、他に候補がないのでこれだと思います)。
智恵子の杜公園 | 二本松市観光連盟
ちなみに智恵子の石碑は霞ヶ城跡にもう一つあり(そちらの方が古い&有名。昭和36年頃建立)、そちらはやはり「樹下の二人」と、裏側に「あどけない話」の一部が刻まれています。
十和田湖の「乙女の像」は最晩年、最後の作品。十和田湖国立公園協会のページによると、制作のきっかけを作ったのが津島文治(太宰治の兄)だったり、制作に当たって佐藤春夫が視察に協力していたり、文壇の人脈が繋がっている作品だそうです。春夫の「高村光太郎像」などにも当時の話が書かれています。


(安達:安達太良山、智恵子抄文学碑)
(十和田湖:乙女の像と十和田湖)


宮沢賢治。啄木同様に岩手県内の風景印が多く、局めぐ向きの作家です。前回も花巻局と盛岡ホットライン肴町局を紹介しました。
まずは花巻市内から。花巻二枚橋局と宮野目局は羅須地人協会の建物をそれぞれ別なアングルから描いています。花巻二枚橋局の手前に描かれているのは「農民芸術概論綱要」の碑。宮野目局の風景印にはよく見ると「下ノ畑ニ居リマス」の文字が描かれています。
矢沢局の風景印の右上にはイギリス海岸を歩く賢治先生らしき人影が(木の間。ちなみに同じポーズの銅像が羅須地人協会の敷地内にある)。などなど、凝ってるものが多くて面白いです。


(花巻二枚橋:羅須地人協会と石碑)
(宮野目:羅須地人協会(宮沢賢治の家)、航空機、ハナショウブ)
(矢沢:イギリス海岸、宮沢賢治記念館、よだかの星彫刻碑、カタクリ)


作品の舞台ということで小岩井農場を描いた小岩井局と、種山高原を描いた米里局も紹介しておきます。小岩井の風景印ほんとかわいい。昭和32年開始の古い図案ですが、できることならこのままずっと使い続けてほしい。
種山高原を描いた米里局の風景印の石碑はもちろん「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は…」の碑です(念仏剣舞の右後方に小さく描かれています。実印影を拡大すると「牧歌」というタイトルが読めます)。この歌は「種山ヶ原の夜」という戯曲の中で歌われたものです。
「牧歌」詩碑 -宮沢賢治の詩の世界
牧歌 -イーハトーブの風の森


(小岩井:農場風景、岩手山の遠望)
(米里:種山高原、兄和田念仏剣舞、宮沢賢治碑、レンゲツツジ)


「念仏剣舞」という単語を見て、ふと「原体剣舞連」は風景印になってないかな〜と思って探してみましたが、そちらはなってませんでした。残念。

萩原朔太郎関連は1局だけ、群馬県・前橋中央局。描かれているのは廣瀬川畔にある「廣瀬川」の詩碑。


(前橋中央:市街地を流れる廣瀬川、萩原朔太郎の詩碑、赤城山)


詩碑は前橋文学館から川沿いに300mくらい北上するとあります。


前橋文学館向かいの萩原朔太郎記念館(居宅や土蔵を移築した施設)の前にある丸型ポストに投函すると、風景印を押印して配達してくれるというサービスがあります。文学館には青猫の記念スタンプも。
絵葉書は文学館で各種販売していますが、光沢紙のはインクが乾きにくかったので注意(乾かしたつもりでしたが、配達されたものはだいぶスレてしまいました)。
↓は「月に吠える」表紙を使った絵葉書です。


中原中也も郷里の山口県に2つほど風景印があります。出身は湯田温泉ですが、山口湯田局の風景印に描かれているのは井上公園の「これが私の古里だ…」という「帰郷」の詩碑。山口神田局の風景印には中原中也記念館と、白狐伝説にちなんだ狐のキャラクターが描かれています(湯田温泉駅の前に図案と同じキツネ像があります)。
記念館と一緒に行ける範囲では(やや遠いですが)、「冬の長門峡」の舞台になった長門峡を描いた風景印が長門峡駅前の篠生(しのぶ)局にあります。一緒に観光されるようでしたら。


(山口湯田:桜(中枠)、兄弟山と温泉街、中原中也の詩碑、温泉マーク)
(山口神田:兄弟山、中原中也記念館、湯田温泉のキャラクター「湯の町ゆう太」、温泉マーク)
(篠生:国名勝「長門峡(ちょうもんきょう)」)


篠生局の風景印は1953年開始の古い図案です。パッと見どこをどう描いているのかが分かりにくいのですが、昔の観光案内などを見ると、似たような構図(断崖の間を流れる渓流+画面右に手すりのついた通路?展望スペース?のようなもの)を見ることができます。↓これとか近いんじゃないかと思うんですが、現在ではどの辺に当たるのだろうか。


(書いても書いても終わらない…)(まだまだ続きます)

志賀直哉武者小路実篤
兵庫県・城崎は志賀直哉「城の崎にて」の舞台。城崎温泉は文学碑が多くて面白いです。↓こちらに文学碑マップが。
文学のまち - 城崎温泉観光協会
志賀直哉に関しては小説の舞台として有名な地名が色々あります。松江とか尾道とか大山とか、古い景観が残っている場所は風景印も古いものが残っていて面白いです。大山局(鳥取県)の風景印は昭和23年元日開始で、現行印では最も古いものの一つです。

東京都・八王子丹木の風景印に描かれている「実篤先生讃仰碑」は、武者小路実篤の墓所である八王子中央霊園にあります(先日記事にしました。こちら)。


(城崎:末代山温泉寺の遠望、志賀直哉文学碑)
(八王子丹木:ユリの花とイチョウの葉(変形)、武者小路実篤碑、国史跡「滝山城跡」の碑、秋川渓流)


有島武郎
北海道・岩内は「生まれ出づる悩み」の舞台で、有島武郎文学碑から見た岩内港と刀掛岩が名所です。場所はGoogleマップによると「カスペノ岬」、カスペトンネルの南側出口付近です。↓こちらに詳しい紹介がありました。
有島武郎文学碑・岩内町 | シリベシアン(後志人) - アメブロ

長野県・軽井沢局の風景印の図案は旧三笠ホテル。ホテル創業者が有島家と姻戚関係にあったため白樺派の会合に使われたり、また「三笠ホテル」という命名に里見弴や有島生馬が関わっていたりするそうです。
説明文に明記されてはいないのですが、図案の左側にシラカバ風の木が描かれていて良いです。



(岩内:岩内港、刀掛岩、有島武郎文学碑)
(軽井沢:浅間山、重文「旧三笠ホテル」)


同じ軽井沢ゆかりの堀辰雄
堀辰雄は軽井沢の「追分」というところに住んでいましたが、その追分局の風景印はこんな図案です。


(軽井沢追分:追分の分去れ(わかされ)、町花・サクラソウ、浅間山)


↑この画面左に描かれた追分の分去れ(常夜灯や石碑、石仏等が集まっている場所)は、中山道と北国街道の分岐点にあたる場所で、堀辰雄の旧居(現在の堀辰雄文学記念館)から西に500mぐらいの位置にありますが、辰雄自身散策などでよく訪れたようで、この分去れで撮られた写真がたくさん残っています。直近の記念館のチラシにも載ってました。↓昭和21年撮影。現在と石造物の配置はそんなに変わっていない気がします。
ちなみにこの常夜灯の右に行くのが北国街道で、見切れてますが左に行くのが中山道です。この写真のトリミング前のものは新潮日本文学アルバムなどでも見ることができます。


↓こちらのページの下の方にも分去れで撮ったとされる写真がありました。こちらは他に室生犀星や川端康成、河上徹太郎なんかも写っています。(これ、同じ場所なのかな?常夜灯とヒトの尺が違うような気もしますが。どうなんだろう)
軽井沢ネット 軽井沢エッセンス : 風立ちぬ、いざ生きめやも 軽井沢を愛した堀辰雄

永井荷風
荷風ゆかりの土地というと浅草や墨東などが浮かびますが、荷風を連想させるような消印は思い当たりません。他には断腸花(ベゴニア)の風景印もなかったし(切手すらほぼなかった。あれだけ花切手乱発してるのに)、偏奇館跡の付近にも風景印はありません。晩年住んだ市川も、ゆかりの作家として第一に荷風を推している割に風景印はなかった(露伴と白秋はある)。
ゲームの荷風は主に慶応で教鞭をとっていた時代のイメージで作られているので、慶應義塾前局の風景印を紹介しておきます。図案の慶應義塾図書館旧館(重文)は1908年起工・1912年竣工で、荷風が三田にいた頃(1910〜1916年)に新築された建物です。カフー先生どんな本借りてたんだろうか。(学校の図書館で本を借りた、という発言は「日和下駄」で見た)ちなみにこの図書館は高輪局の風景印にも描かれています。一緒に描かれている東京タワーは最晩年の昭和33年12月竣工(荷風は翌年の4月に亡くなります)。


(慶應義塾前:重文「慶應義塾図書館・旧館」、局前の三田通りから見た東京タワー)
(高輪:泉岳寺山門、重文「慶應義塾図書館・旧館」、東京タワーの遠望)
(名古屋鳴尾:西来寺の永井荷風追慕碑、旧鳴尾学校、旧鳴尾松、松風公園にある木因の句碑)

慶応義塾図書館旧館は敷地の東側(=郵便局の道路向こう)から入るとすぐなのですが、今は耐震工事中で外から眺める程度です。(こないだ見ました)5月には終わる予定とのこと。


永井家のルーツは尾張地方にあるそうで、名古屋鳴尾局の風景印には西来寺(永井家の菩提寺)にある永井荷風追慕碑が描かれています。碑文は終戦直後に書かれた「冬日の窓」からで、「人生の真相は寂寞の底に沈んで初めて之を見るのであろう」という一節が三田時代の教え子であった堀口大學によって書かれています。

慶応が出たので早稲田も。早稲田関係で実装されている作家には井伏鱒二、岩野泡鳴、江戸川乱歩、小川未明、北原白秋、国木田独歩、坪内逍遥、直木三十五、ラフカディオ・ハーン、二葉亭四迷、正宗白鳥、横光利一、吉井勇、若山牧水などがいます。
その早稲田の前身である東京専門学校に文学科を作ったのは坪内逍遥です。出身地近くの美濃加茂太田本町局には坪内逍遥顕彰碑を描いた風景印があります。


(新宿北:早稲田大学大隈講堂、都電)
(早稲田大学前:大隈重信の銅像、早稲田大学大隈講堂、穴八幡宮)
(美濃加茂太田本町:重文「旧太田脇本陣林家住宅」、坪内逍遙顕彰碑、市花・アジサイ)


↑で江戸川乱歩が早稲田関係者に入っていますが、旧江戸川乱歩邸は現在立教が管理しています。
旧江戸川乱歩邸 | 立教大学

乱歩邸入口のすぐ向かいには立教学院内局があります。風景印の図案は乱歩とは特に関係はないのですが、見学するならついでに押印してもらうといいかも。局名は学院「内」ですが、一般道路沿いにあります。
他、生誕地付近の三重県・西名張局には生誕地碑を描いた風景印があります。石碑は「幻影城」の刻字入り(印影は去年のですが、だいぶゴムが劣化してました。その後更新されたでしょうか…)。


(立教学院内:桜(変形)、立教大学、区花・ツツジ)
(西名張:赤目四十八滝の千手滝、江戸川乱歩生誕記念碑、もみじ)


乱歩邸は先日見てきたのですが、中に記念スタンプ(大ぶりの落款風のもの)があったり、物販コーナーで乱歩先生撮影のホームビデオ的な動画が流れてたり、小さいスペースながら楽しめました。↓土蔵(左)と応接間。土蔵は入口からガラス越しに中の本が見えます。応接間の左の壁には乱歩先生の肖像画つき。


これは展示スペースにあった夢野久作贈呈の博多人形。
この他に歴代のセンター通信とかも置いてあって、読むものが多くて楽しいです。


田山花袋
花袋関連では埼玉県・羽生市に「田舎教師」碑を描いた風景印が2つあります。他、「蒲団」の舞台になった岡山県の新見局の風景印には小さく「蒲団」碑が描かれています。


(羽生三田ヶ谷:ムジナモの花と沼(国天記「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」)、田舎教師記念碑)
(羽生:ムジナモとその花、田舎教師碑、勘兵衛松、川俣関所跡碑)
(新見:「蒲団」碑、御殿町の城下町の町並み、備中神楽の建御名方命の面、河川公園の鯉)

羽生三田ヶ谷局に描かれているのは、局のすぐ近くにある「田舎教師像」の並びに建てられている「弥勒小学校跡」の碑なのですが、10年ほど前に建て替えられてしまい、現在は図案とは別な形になっています。引用されている文はほぼ同じ箇所で、40章から「運命に従ふものを勇者といふ」の一節。先日現地を確認してきたので、そのうち記事にしたいと思います。→書きました。(20190508)


羽生局の風景印に描かれているのはまた違った石碑で、これは「田舎教師」のモデルになった小林秀三(こばやし・ひでぞう)さんのお墓の横にあるものです。碑文は小杉放庵によるもので、「田舎教師」の下に小さく「花袋翁作中の人此処に眠る」と書かれています。お墓は局のすぐ隣の建福寺にあります。


島崎藤村関連では、まず藤村記念堂が描かれた岐阜県・馬籠局。
この風景印は歴史が古く、旧神坂(みさか)局で使用を開始したのが昭和30年2月15日。当時は長野県(西筑摩郡神坂村)だったのですが、この後村が分裂したり色々あって(wiki「神坂村」参照)、2005年に岐阜県に変わったという珍しい局です。wikiを読むと分かりますが、その経緯に藤村が関わっているそうです。
藤村記念堂の設計者は谷口吉郎氏でした。前回出てきた、金沢の室生犀星碑などの作者です。他には斎藤茂吉記念館とか吉川英治記念館とかも作ってるし、博物館明治村の館長もやってるし、実は風景印とものすごく縁のある人です(あまり話題になることがないのですが)。


(馬籠:藤村記念堂の冠木門、富士見台高原の遠望、桜)
(妻籠:旧中山道妻籠宿の街並、木曽御嶽山)


馬籠から10kmぐらい北上したところにある長野県・妻籠も島崎家ゆかりの地です。「夜明け前」第二部では、主人公(藤村の父がモデル)の妻の兄が妻籠で郵便局長になるのですが、その妻籠局には現在郵便史料館が併設されているそうです。
妻籠宿の郵便史料館に行ってきました! | 是より木曽路 -しあわせ信州-

妻籠局の風景印と同じ構図の切手がかつて発行されたこともあります。こちら。↓ここは押印も上手でした。


徳冨蘆花
東京都・世田谷粕谷局は、数少ない本人肖像つき風景印です。背景は蘆花恒春園。
蘆花恒春園|公園へ行こう!
この他、成城局の風景印には蘆花恒春園と蘆花夫妻の墓碑が描かれています。
代表作「不如帰」の舞台が神奈川県・逗子市ということで、逗子局の風景印も。逗子市の市花がホトトギスであることから、前面にはホトトギスがあしらわれています。


(世田谷粕谷:都立蘆花恒春園、徳冨蘆花像)
(逗子:逗子海岸のウィンドサーフィン風景、市花・ホトトギス)


いずれも石碑の風景印で、川端康成山本有三中里介山関連。
静岡県・上河津局の「伊豆の踊子文学碑」は、川端ゆかりの旅館「福田家」の隣にあり、「湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。(略)私は下田まで一緒に旅をしたいと言った。彼は大変喜んだ。」の一節を刻んだもの。この碑は昭和40年に建てられたもので、作家自身も除幕式に出席しています。
河津観光HP » 伊豆の踊子文学碑

栃木県・栃木局の「山本有三文学碑」には、「路傍の石」から「たったひとりしかない自分を たった一度しかない一生を ほんとうに生かさなかったら 人間うまれてきたかいがないじゃないか」の一節が刻まれています。図案だと分かりにくいのですが、石碑の右側に本人肖像のレリーフがはめてあります。これも同じく本人除幕式に出てます。
山本有三文学碑 – 栃木市観光協会

山梨県・塩山局の「中里介山碑」は大菩薩峠にあり、毎年4月中旬頃には山開きに合わせて介山祭が行われるそうです。日にちは年によってズレるそうなので、参加される場合は事前確認が必要です。


(上河津:「伊豆の踊り子」文学碑、河津峡大滝、温泉マーク)
(栃木:郷土出身の文豪・山本有三の文学碑、太平山県立自然公園の遠景、遊覧道路の桜並木)
(塩山:武田菱(変形)、重文「恵林寺四脚門」、大菩薩峠の介山碑、ぶどう、富士山)


番外編で、京都の風景印をいくつか。
吉井勇関連で、祇園の吉井勇歌碑(かにかくに碑)付近にある京都祇園局の風景印。
あと吉川英治関連で、宮本武蔵を描いた京都一乗寺局の風景印。武蔵関連の風景印はいくつかありますが、ここが一番雰囲気が出ていると思います。
ゲームには実装されていませんが三島由紀夫関連で金閣寺局も。金閣寺を描いた風景印は、別図案が京都北局にもあります。


(京都祇園:舞妓、大文字山の遠望、祇園祭の山車)
(京都一乗寺:国史跡「詩仙堂」、宮本武蔵と吉岡一門の決闘の場「一乗寺下り松」、宮本武蔵像)
(金閣寺:金閣寺、鏡湖池)


上記の如く京都市内の風景印が充実しているのに対し、同じ関西でも大阪市内は伝統的に風景印不毛の地で、大阪出身の作家もたくさんいる割に関連の風景印が見つかりませんでした。(作品を細かく当たって行けば何かしらあるとは思いますが…)
強いて言うなら浪速局の風景印は織田作之助みがあるかも。ただしこの通天閣は戦後建て替えられたものなので、オダサクが生きていた頃のとは別物です。


(浪速:区花・ナデシコ(外枠)、通天閣、坂田三吉で有名な将棋の駒「王将」と「歩」)


もう一つおまけで、河童の風景印。これ以外にも沢山ありますが(牛久市とか旧田主丸町とか)、有名なのはこのあたり。


(遠野新町:遠野物語のイメージ、南部曲り家)
(台東松が谷:浅草寺雷門の提灯(変形)、合羽橋道具街、マスコットのカッパ)
(東伊那:高烏谷山(たかずやさん)、松茸を採るカッパ、天竜川)



以上、駆け足でしたが主なものをざっと紹介しました。
作家の生家や文学館の近くの郵便局に風景印が置かれていることが時々あるので、ご興味を持たれた方は観光ルートに郵便局も加えていただけましたら幸いです。

*リンク切れ他、一部テキストを修正しました(2023-12-08)
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