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文学者と風景印

文アル(文豪とアルケミスト:文豪とその代表作をキャラクターや世界観の設定に使ったオンラインゲーム)絡みで風景印に興味を持った方がこのブログに来てくださったようで、それ経由でのアクセスが一時期増えていました(ありがとうございます)。私個人は普段ゲームは全くやらないんですが、言われてみれば確かに文学者ネタの風景印はたくさんあるし、興味が出たので少しだけプレイしてみました。

ゲーム概要→https://bungo.dmmgames.com

ここ数日空いた時間にちょこちょこ取り組んだ結果、キャラクター全47人のうち15人ぐらいを召喚し、ステージ2段目までをクリアしました。予想以上に時間を食うので今後も続けられるかどうかは謎ですけど、とりあえず色々面白かったです。なんか課金なしで遊べる範囲が広くてびっくりしました。(以前唯一やったことのあるソシャゲはもっとシビアだった)でも先が長そうなので、続きは攻略ページを読んでざっと把握しました。
ちなみに、こんな風にゲームから郵趣の世界に来てくれる方は時々いて、以前にも艦これや刀剣絡みで関心を持ってくださった方がいたと思います。でも戦艦の消印はほとんどが戦前のもの(特印とか第一艦隊局風景印とか)だし、刀剣はとにかく数が少ないしで、現行印をコレクションしたりそれで手紙を出したりという方向には発展しづらかった気がします。その点、文学者は現行印にもたくさん登場するので、比較的やりやすいテーマだと思います。聖地巡礼のついでに文豪の消印で手紙出していただきたいです是非。
私は全ての現行印の画像及び解説テキストに個人的なタグ付けを加えたデータベースを自作して使っているのですが、その中からゲームに関連があると思われるものを抜き出したので一部紹介してみたいと思います。ちなみに全部で100件を超えました(105件程度)。もしかしたらまだあるかも。
(注:以下、数日プレイした範囲で得られる程度のうっすいネタバレが含まれます)

ゲームのキャラクターの中で、風景印と関連がある主な人物は30人弱ぐらいです。登場局数の比較的多いものでは夏目漱石、宮沢賢治、若山牧水、正岡子規、石川啄木、国木田独歩、太宰治、森鴎外、北原白秋、田山花袋、吉川英治。少ないものでは坪内逍遥、永井荷風、幸田露伴、尾崎紅葉、江戸川乱歩、川端康成、谷崎潤一郎、室生犀星、中原中也、新美南吉、島崎藤村、小泉八雲、萩原朔太郎、菊池寛、志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤などが挙げられます。

これらの中には、文豪本人の肖像や彫像を描いたものがいくつかあります。風景印的にメジャーなものから挙げると金木局(太宰治)、三鷹下連雀四局(太宰治と森鴎外)、盛岡ホットライン肴町局(宮沢賢治と石川啄木)、函館日乃出・函館堀川・釧路大町・盛岡大通局(石川啄木)、六合・沢渡・坪谷局(若山牧水)、市川東菅野局(幸田露伴)、松江北堀局(小泉八雲)など。


(三鷹下連雀四:禅林寺山門、太宰治と森鴎外)
(盛岡ホットライン肴町:もりおか啄木・賢治青春館、石川啄木と宮沢賢治の肖像)
(松江北堀:小泉八雲の旧居と銅像、堀川めぐりの遊覧船)
(金木:太宰治、斜陽館)
(市川東菅野:梨の外枠、幸田露伴、露伴旧宅付近の町並み、市花・バラ)
(茅ヶ崎:国木田独歩追憶碑、海岸の烏帽子岩)


作られた時代と地域(支社)によってかなりデザインに幅があって面白いです。(私はどれも好きです)
茅ヶ崎の風景印はやや変化球で、国木田独歩追憶碑に刻まれた肖像が描かれているというものですが、ヒゲの感じとか似てるし、詳しい人なら嬉しいかも。これは昭和35年12月15日開始の比較的古い意匠で、現在の茅ヶ崎のイメージからはやや離れつつある気もしますが、個人的には画面がまとまってて好きな意匠です。(ただし碑に刻まれた「渚」という作品は、茅ヶ崎ではなくその前に療養していた那珂湊が舞台であると言われています。現在は那珂湊にも「渚」の石碑があるそうです)
三鷹下連雀四局は、太宰と鴎外のお墓がある禅林寺のすぐ横にあります。個人的な散策情報ですが、三鷹駅近くの太宰治文学サロンでは太宰の写真を使ったポストカードが1枚100円で売られています。直接訪問される方は押印台紙にどうぞ。→詳細(バナーから「通販ストア」へ)

他に、文豪本人ではないけれども有名な小説のキャラを描いたものが数局あります。夏目漱石関連でまつやまマドンナ&まつやま坊っちゃん局、それから新美南吉関連でごんぎつねが登場する半田局。まつやまマドンナ局はいよてつ高島屋に入っており、土日も営業しているので観光の際に立ち寄りやすいと思います。


(まつやまマドンナ:松山城、坊っちゃん列車、マドンナ)
(まつやま坊っちゃん:松山城、坊っちゃん列車、坊っちゃん)
(半田:山車、ごんぎつね、市花・サツキ)


特定の文豪を指してはいないのですが、文学館や文士村を描いた風景印もいくつか存在します。馬込文士村@大森局、日本近代文学館@目黒局、石川近代文学館@金沢香林坊局、青森県近代文学館@荒川局など。
他にも各文豪個人の記念館・文学館・生家・居宅などを描いた風景印が各地に点在しています。(吉川英治記念館@吉野局、羅須地人協会@宮野目局、藤村記念堂@馬籠局などなど)


(大森:梅の外枠、「馬込文士村」の文字と万年筆、原稿用紙、大森貝塚の碑)
(目黒:碑文谷公園、日本近代文学館)
(金沢香林坊:重文「石川近代文学館(現・四高記念文化交流館)」、四高記念碑)


本そのものが描かれた風景印にも推せるデザインが多いです。神田北神保町局には夏目漱石の「吾輩は猫である」の石碑、菅野局には北原白秋の「葛飾の真間の継橋夏近し 二人わたれりその継橋を」という短歌がそれぞれ一緒に描かれています。


(小川町:本屋街、重文「ニコライ堂」)
(神田北神保町:お茶の水小学校(旧・錦華小学校)で学んだ夏目漱石の「我輩は猫である」石碑、本)
(菅野:梨の外枠、文学の道碑、北原白秋の短歌、桜)


↑この管野局の風景印は、ちゃんと歌が読める字で書かれている上に画面もまとまっててすごくいいなと思っているのですが、こんな風に風景印に直接歌やら句やらを書いたものが他にもいくつかあります。台東根岸二局には正岡子規の「雀より鶯多き根岸かな」の句。金沢寺町・金沢野町局には、室生犀星の「うつくしき川は流れたり」という犀川を歌った詩の一部。他に函館にも石川啄木の短歌が書かれた風景印が2つほどあります。
子規の句は「寒山落木 二」に「根岸六句」と題して収録されたもののうちの一つです。明治26年作。子規庵のお土産コーナーでは、子規が描いた花や野菜などのポストカードが各種売られており、押印用にお勧めです。


(台東根岸二:子規庵<糸瓜棚、子規の句>、台東区立書道博物館)
(金沢寺町:犀川と犀川大橋、室生犀星の歌碑、川岸の大桜)
(函館公園通:立待岬と桜、石川啄木の歌)



…で、それ以外の大多数は単なる文学碑だったり小説の舞台だったりの風景印なわけですが、ここからが本題です。
本人も書物も作品も描かれていない、石碑だけの風景印なんてつまらないかと思うじゃないですか。それが案外そうでもなくて、これはこれで楽しみ方があるらしい、ということを今回新たに発見しました。この発見は純粋にゲームのおかげだと思います。ありがとう。

文学碑というものは、亡くなった文学者と友人関係や師弟関係にあった文学者が企画に携わったり碑文を書いたりするケースが非常に多く、生前の人間関係や没後の周りの人の受容の過程が垣間見えたりして興味深いです。
その中でも個人的にアツいなと思ったものを紹介します。まずは蟹田局の太宰治文学碑。


(蟹田:観瀾山、津軽半島と下北半島を結ぶフェリー、太宰治文学碑/昭和58年7月5日開始)

この石碑に書かれているのは「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」という「正義と微笑」終盤の一節で、井伏鱒二による撰文を佐藤春夫が書いています。(この2人はどちらもゲームのキャラになっていて、ゲーム内においてこの2人と太宰との間で手紙のやりとりが発生したりするようです)
さらに、この石碑になった石そのものも、旧制青森中学時代に太宰が友人と平舘村(蟹田のすぐ北。現在は共に合併して外ヶ浜町)の宇田海岸にピクニックに行った際に座って弁当を食べたというゆかりのある石で、当時からの友人(この石碑の発起人で中村貞次郎さんという人)が「太宰の文学碑はこの石しかない」と言って運んできたものです。こちらも情熱がすごい。詳しい経緯は蟹田町史に書かれていて面白いです。
石碑の除幕式(昭和31年8月6日)には鱒二も出席していました。その時の様子を、同じく出席していた檀一雄が数年後に回想しています。こんな文。

(前略)蟹田の詩碑のあり場所もきわめてよい。
津軽湾の中に突入したこの小さな岬の丘陵の上は、さびしいセミの声に埋まっていた。
除幕式の席上、折から強風に吹きあふられるシオカラトンボが来賓の井伏鱒二氏の頭上にチョンと羽を休めていた有様まで類いまれなその場の景物に思われて、もし太宰などが生きていたら、これをどのような秀抜な文章に書きとどめていただろうかと、私は一人、微笑がとまらなかった。(後略)(文学碑めぐり/弥生書房 1960)


残された人たちが石碑に関わる作業を通して故人と対話している様子が想豫されて、いい石碑だなと思いました。死亡時の状況から言って周りの人たちの心にも大きな傷を残したと思うのですが、亡くなってから8年経って、ああそんな感じになるのか、と。上手く言えませんが。
良い石碑はこんな感じで素敵エピソードがポロポロ出てくるので、気がつくと石碑自体に愛着が芽生えていたりします。そのうち見に行きたい。(←案の定そうなる)


続いて花巻局の宮沢賢治碑。桜の形をした枠の中に石碑が描かれています。


(花巻:桜、宮沢賢治詩碑、花巻温泉郷/昭和26年7月2日開始)

消印では碑文は読めないのですが、これは賢治に関する一番古い石碑で、「雨ニモマケズ」の後半部分が刻まれているものです。昭和11年11月、賢治の没後3年という比較的早い時期に建てられました。碑の下には賢治の著作などと共に遺骨が埋められているそうで、こちらも作った人たちの情熱を感じる石碑です。
碑文は高村光太郎と草野心平で相談して決めたものを光太郎が書いているんですが、碑ができてから10年近く経った頃に碑文と原文が違っていることに気づき、わざわざ自らタガネで追刻しに来た(抜けている部分を行間に補うなどした)というエピソードがあります。


この他に文豪がコラボしている石碑としては、高津局の国木田独歩碑などが有名です。これは高津図書館の入口(溝口緑地)に立っているもので、島崎藤村の字で
「歴遊の地を記念して 国木田独歩にさゝぐ 昭和九年の春島崎藤村しるす」
と書かれています。
独歩の碑は全国にやたらたくさん分布しているのですが、その中でも特に多いのが「山林に自由存す」という有名な文句を刻んだもので、風景印になったものだけでも3つもあります(歌志内局、武蔵野境局、田布施局)。実物はもっと多いはず。

(高津:多摩川と二子橋、国木田独歩の碑、梨)
(武蔵野境:国木田独歩の「山林に自由存す」碑、雑木林、玉川上水)


うち武蔵野境局の風景印に出てくる「山林に〜」の碑は三鷹駅北口の交番横に作られた小さな雑木林の中にあるもので、これも碑文を武者小路実篤が書いているというコラボ案件です。↓こちらが実物。


ちなみに武蔵野市内にはもう一つ独歩の碑があるんですが、そちらの碑の方が武蔵野境局に近い上に「武蔵野」の一節を刻んであるという、むしろそっちを風景印にした方がオリジナリティが出せて良かったのではないか?と思わせるプロフィールを持っています。
碑は局前の道路を北へまっすぐ行ったところの、桜橋の北詰にあります。↓こちらです。


碑は独歩の没後50年の際に作られたもので、「武蔵野」第六章冒頭の、
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其處で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある、」
という一節が刻まれています。つまり、独歩も武蔵野境局のあたりを歩いたってことですよね。ちゃんと「境」とか「桜橋」とかいう地名も出てくるし、やっぱりこっちを採用した方が良かった気がします。


さっきも載せた金沢寺町局と、あと金沢野町局の風景印には室生犀星文学碑が描かれています。消印では碑文は読めませんが、実物には「あんずよ 花着け 地ぞ早に輝やけ(略)」という「小景異情」の一節が書かれています。(これはゲーム内の犀星のセリフにも使われています。あまりにも断片的なのでしばらく何言ってるのか分かりませんでしたがw)


↑これ、風景印に描かれているのは流し雛の形をした主要部分だけなんですけど、この碑の実物は背後に金沢の民家を模した白壁が立っていて、実はその白壁も詩碑の一部なんだそうです。↓こちらに全体像が。
■室生犀星文学碑(かなざわ百万石ねっと>金沢おてがるガイド>犀川・寺町・広小路)

この碑をデザインしたのは金沢出身の谷口吉郎さんという方で、この方は卯辰山にある徳田秋声文学碑もデザインしています。そして秋声の碑も犀星の碑と同じく背後に白壁が建てられているという「おそろい」のデザインになっており、さらにこちらは犀星の文字で秋声の事跡が刻まれているという素敵案件だそうです。いいなあ、見に行きたい。(なぜ消印と関係ない秋声の話をしているかというと、ゲームのチュートリアルで最初に与えられるキャラの一人が秋声だからです)(ちなみに卯辰山に登る途中には泉鏡花の句碑などもあります)
■卯辰山 徳田秋声文学碑(かなざわ百万石ねっと>金沢おてがるガイド>卯辰山公園・山麓寺院群)


一見地味な石碑の風景印ですが、ゲームをプレイしてから改めて見ると面白いものもありました。広島翠一局。


(広島翠一:千田廟公園の千田廟社と正岡子規の句碑、皆実町緑地の平和塔/昭和59年11月3日開始)

描かれているのは子規の句碑です。日清戦争の際、子規は広島の宇品から従軍記者として戦地へ旅立ったのですが、この出発時に詠んだ句が石碑となって付近の千田廟公園(せんだびょうこうえん)に立っています。大正11年9月、没後20年の折に作られたもののようです。
ゲームの中の正岡子規は何かにつけて自作の俳句を披露するのですが(とても暑苦しくて良いと思う。好き)、その中のひとつがここには刻まれています。「行かば我れ筆の花散る処まで」というもの。風景印のゴムが古くなければちゃんと判読できるはずです。句碑の実物がかなり達筆で読みづらいせいか、「雰囲気はできるだけ似せつつ読める書体にアレンジする」という、風景印的によくあるテクニックが使われています。
ちなみに同じ句碑が広島翠三局の風景印にも出てきますが、こちらは小さくて碑文が読めない仕様なので、今回は翠一がお勧めです。


小説の舞台にも風景印があります。

(京都七条米浜:高瀬川に浮かぶ高瀬舟、大文字山)
(西宮常磐:一本松、一本松地蔵尊、マンボウトンネル、甲山)
(熱海:梅の外枠、お宮の松、熱海サンビーチ)


京都七条米浜局の風景印に描かれているのは森鴎外の「高瀬舟」です。印影だけだと初見ではピンと来ないかもしれないですけど、押印が綺麗で良かったです。
西宮常磐局の「マンボウ」と「一本松」は、谷崎潤一郎の「細雪」に登場するものです。下巻の前半に、主要人物のひとりが「自分は今マンボウの向こうの一本松の傍に住んでいる」と語る場面があり、そこに「マンボウとは何ぞや?」という谷崎自身による説明がつけ加えられています。↓こちらに詳しい解説が。
谷崎潤一郎の「細雪」を歩く 西宮編
ちなみに電車で西に2〜3駅行ったところにある芦屋伊勢局の風景印には谷崎潤一郎記念館が描かれています。

熱海局の風景印には尾崎紅葉「金色夜叉」にちなんだ「お宮の松」が描かれています。金色夜叉、なかなかクリアできないですよね…。まだレベルが低い頃にうっかり入ったら全員あっという間に耗弱しちゃって絶望しました(ゲームの思い出)
熱海局には(売り切れていなければ)オリジナルのポストカードがあります。熱海駅からは距離がありますが(最寄は来宮駅)機会がありましたら。↓は以前そのカードに記念押印してもらったものです。



最後に、私の本来のジャンルは動物関係なので、番外編ですが井伏鱒二関連でサンショウウオの風景印をいくつか貼っておきます。サンショウウオの風景印、意外と多いです。リアルでは成長するとゴツゴツした感じになっちゃいますけど、消印はふわっとつるっとしたかわいいテイストのが多くて良いと思う。鶴ケ岡のは変り種で、サンショウウオの輪郭の中に「大山椒魚の住む町」と白抜きで書かれています。



あと小林多喜二関連で道東あたりのカニ風景印。鱒二も多喜二も本人の風景印は無いのが惜しいですね。



風景印の一般的な知識、及び入手方法については以前書いた記事をご参照ください:
風景印とは<まとめ1>
風景印の集め方<まとめ2>
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