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栃木/道場宿郵便局


(確認前のデータ)
・史跡「飛山城跡」
・同慶寺
・名木のヒイラギ
・鬼怒川の船渡

(使用開始:昭和61年11月20日)

宇都宮市です。
飛山城跡と同慶寺は局付近の名所。その西側には鬼怒川が流れています。
飛山城は芳賀氏が鎌倉時代(1293〜98)に築いた城で、秀吉に廃城されるまで300年ほど続いたそうです。昭和52年に国史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されています。
飛山城史跡公園

鬼怒川の渡船は江戸時代に盛んで、この付近にあった板戸河岸や道場宿河岸から江戸へ農産物を運んだり、江戸から全国各地の物資を持ち帰ったりしていました。当時河岸があった場所に船頭唄の碑が建っているそうです。
鬼怒の船頭鍋(宇都宮大学広報誌)

「ヒイラギ」がどこにあるのか、だけが不明です。どこにあるんでしょうか。訪問したので質問してみました。
………………………………………………………………

「局員に地元の人がいないのでよく分かりません。すみません。もしかしたら同慶寺にヒイラギがある?のかも?しれません?」

要するに「分からない」そうです。残念。
同慶寺にあるのかも?と言われたので境内を歩き回ってみましたが、それらしい木は見当たりませんでした。
ていうか、その場のノリで適当なこと言わないでほしいです正直。頼むから余計な作業を増やさないで><

同慶寺の建物は平成16年に建て替えられたそうです。風景印の絵とビジュアルが違っているのはそのためでしょうか。
境内の看板には「同慶寺は飛山城築城と同時期に芳賀氏が作った寺で、飛山城の支城としての機能を持っていた」ということが書かれていました。この2つがセットで描かれているのにはちゃんと理由があるんですね。


続いて飛山城跡に行ってみました。国史跡だけあってきれいに整備されています。堀と土塁のほかに住居なども復元されていました。中世の竪穴建物(左下)が地下構造になっていて珍しかった。公園の最奥まで行くと、眼下に鬼怒川と、その向こうに市街地が広がっていて眺めが良かったです(右上)。条件が良ければ富士山も見えるとか。


看板がありました。昭和60年、風景印が作られる前年に建てられた看板です。


その地図を拡大。…あっ!


↑地図に「ヒイラギ」の文字が。近くに市天記のヒイラギがあるそうです。この地図には飛山城跡も同慶寺も鬼怒川も描かれているし、風景印のヒイラギもこれのことなんじゃないの?
市役所の文化財課の方に電話で場所を聞いて行ってみました。飛山城跡から南へ下り切って、道路沿いに西へ50mぐらい行ったところにありました。予想以上に大きな木でした。


看板。昭和38年指定で、樹高(10m)・幹の太さ(4m)ともに市内最大のヒイラギだそうです。推定樹齢500年ってことは、飛山城が現役だった頃からここにあるわけですよね。そのプロフィールも風景印にぴったりです。


老木なのでトゲのある葉は少なくなっていると書かれていました。確かに見渡す限りつるっとした葉ばかりで、トゲがあるのは一枝ぐらいしか見つからなかったです。ヒイラギも年をとると丸くなるんですね。勉強になります。


これ以上の「名木のヒイラギ」が付近にそうたくさんあるとは思えません。
風景印が表現している時代を考えても、これが正解ではないかと思います。
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