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三重/柘植郵便局


(確認前のデータ)
・河原谷キャンプ場
・芭蕉翁木像
・ヤマツツジ

(使用開始:昭和38年1月11日)

伊賀市です。使用開始時は阿山郡伊賀町(あやまぐんいがちょう)、さらにその数年前までは柘植町(つげちょう)でした。2004年に隣の上野市などと合併して、(上野市ではなく)伊賀市になりました。松尾芭蕉の出身地です。
その「芭蕉翁木像」なんですが、どこにある木像なのかがよく分かりません。検索しても同じ画像が出てこない。
また「河原谷キャンプ場」も謎です。付近の地図を見ても「河原谷」という地名が見つからないし、それらしいキャンプ場もありません。ほんとにこれで合っているのか、そもそもどのあたりのことなのだろうか。
いろいろ気になるので質問してみました。
………………………………………………………………

お返事です。

・河原谷キャンプ場 →正解
・芭蕉翁木像 →正解(萬寿寺桃青殿にあります)
・ヤマツツジ →正解

木像は局付近の萬寿寺(まんじゅじ)にあると教えていただきました。ありがとうございます。
「伊賀町の芭蕉さん」という本に、この木像についての記載がありました。この像は昭和7年に火災に遭った萬寿寺が昭和9年に再建された折に作られたもので、作者は奈良在住の横山大泉氏。材はケヤキ、丈五寸の坐像で、檜笠を前に据え、頭には茶人帽をかぶっているそうです。

萬寿寺は松尾家の菩提寺で、毎年11月12日には「しぐれ忌」が行われています。
芭蕉の命日は旧暦の10月12日なのですが、伊賀市の芭蕉関連行事は新暦の10月12日に行われるものと1ヶ月遅れの11月12日に行われるものが混在しています。10月には旧上野市の俳聖殿を中心に「芭蕉祭(ばしょうさい)」、11月には旧伊賀町の萬寿寺で「しぐれ忌」。
今年は芭蕉祭が第70回の記念の年で、小型印も出るそうなので、とりあえずそちらにまず行ってみることにしました。このイベントは主に旧上野市内の施設で行われます。俳聖殿で式典やったり、芭蕉翁記念館・芭蕉翁生家・蓑虫庵の3施設でスタンプラリーやったり。
俳聖殿と同じ上野公園内にある芭蕉翁記念館のスタンプは、今回の小型印と同じ芭蕉像のデザインでした。付近に上野局が出張していたので小型印と一緒に押印。台紙は伊賀のもう一つの名物・忍者のフォルムカード。


この日の記念館の展示は「芭蕉の肖像画や木像・陶像などを一堂に展示する」というもので、色々なポーズの芭蕉像を見学できました。ただしこの展示では桃青殿の木像については触れられていません。
↓この看板(左)でようやく気づいたんですが、この看板も上記のスタンプ類も、奥の細道シリーズ第1集の芭蕉像(右)と同じものですね。


隣の俳聖殿には伊賀焼の等身大芭蕉像なるものがあり、この芭蕉祭の時だけ公開されています。これも柘植局の像とは別ポーズ。


一通り見学した後で柘植へ行きました。柘植駅の記念スタンプにも芭蕉像が描かれているのですが、これも風景印とは別な像。これの実物と思われる小さな陶像は駅のホームに飾られていました。


その他、町内のあちこちにいろいろなポーズの芭蕉さんが点在していて面白かったです。飛び出し看板も可愛かった。同じタッチで忍者バージョンもありました。


萬寿寺に行ってみました。


問題の木像がおさめられている桃青殿は↑この本堂の中にあるのですが、残念ながら本堂は閉まっていました。偶然通りがかったボランティアさん(芭蕉祭関連行事のため周辺でガイドをしていた模様)が、「お師さんは芭蕉祭で旧上野市の方に行っていて、いつ帰ってくるか分からない」と教えてくれました。がーん。
…残念でしたけど、まったく収穫がないわけでもなかったです。そのボランティアさんが行事で配布したパンフの残りをくださったのですが(ありがとうございます)、その封筒にはこんなものがプリントされていました。↓あっ!


↑これ、あの桃青殿の木像じゃないですか。中に入っていたパンフにも同じ木像の写真が使われていました。やはり柘植町的には芭蕉の木像と言えばこれのことなんだと思います。これまで見てきた像よりもくしゃっとして、若干おじいちゃんぽい雰囲気に作られています。
その足で速攻柘植局に行って記念押印してきました。これは嬉しい。


さっきのフォルムカードにも押印して差し出し。木像の実物は見られないながらも押印的には十分楽しい旅になりました。(この後、翌月のしぐれ忌にも参加して無事に木像にも対面しました。実物を見たい方にはしぐれ忌がお勧めです)



続いて河原谷キャンプ場について。
返信では「河原谷」が具体的にどこを指しているかがよく分からなかったので(局員さんも知らないのではと想像)、改めて自分で探すことにしたのですが、これも時間がかかりました。最終的に登山ガイドの本を片っ端から見ていって、伊賀市の北東にある油日岳(あぶらひだけ)の登山ルート解説に場所が記されているのを発見。「(柘植駅の北側を流れる)倉部川の第一支流で、旗山の北面を洗っている割合大きな谷。谷の最源流は、三国岳から南下する尾根が旗山と烏山を結ぶ尾根に接する地点」だそうです。
現在の地図ではそこにキャンプ場は存在しません。当時の地図に載っていればいいのですが、どうだろう。
これもいろいろ探して、風景印作成より少し後になりますが昭和47年の登山者用の地図を見つけました。そこに、

(鈴鹿山脈 2 御在所岳・鎌ヶ岳/昭文社エアリアマップ 山と高原地図 1972)

↑あった!確かに河原谷の付近(倉部川沿い、旗山の北面)にキャンプ場がありましたよ。名前までは載ってませんでしたが、とにかく河原谷にかつてキャンプ場があったことは分かりました。
この地図中で、太い赤線は東海自然歩道を表しています。この一帯はそのルートに入ってたのか。ということで、昔の東海自然歩道のガイドブックを読んだらキャンプ場の名前も出てきました。正式な名前は「余野(よの)キャンプ場」で、他に「河原谷のキャンプ場」などとも呼ばれていたようです。町内の余野公園(JR草津線の東、滋賀県との県境付近。この地図ではちょうど左端で切れている部分。ヤマツツジの名所)からキャンプ場へ向かう途中に「河原谷橋」という橋もありました。
風景印にはキャンプ場とその後方の油日岳、そして余野公園のヤマツツジが描かれているんじゃないでしょうか。何とか見つかって良かったです。

お返事ありがとうございました。
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