東京/中央勝どき三郵便局

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(確認前のデータ)
・勝どき橋
・築地月島間渡し船の記念碑

(使用開始:平成8年7月22日)

中央区です。勝どき橋は隅田川に架かる橋で、局はその月島側にあります。
この意匠には割と有名な間違いがあって、「築地月島間渡し船の記念碑」として描かれているのは全く別な石碑です。

「築地月島間渡し船の記念碑」本名「かちどきのわたし碑」は、勝どき橋の反対側(築地側)に立っています。
「かちどき橋の資料館」という施設の一角。ちなみにすぐ隣は築地市場です。↓これ。意匠の石碑とは形が全然違います。


では風景印に描かれている石碑は何なのか。訪問したので質問してみました。
………………………………………………………………

「十返舎一九の墓です。東陽院にあります」

(風景印がしまわれている箱に、手書きで「聖路加タワー、勝鬨橋、十返舎一九の墓」と書いてありました)(聖路加タワー??)
十返舎一九の墓はこんな形です。場所は局から200mほど離れた清澄通り沿い。東陽院の門のそばに立っているので、中に入らなくても見ることができます。確かにこの形。


拡大。今回は実印影が潰れ気味なので分かりにくいんですけど、初日とかの綺麗な印影を探して見ると、石碑の文字まできちんと描かれていて面白いです。(「九」と「墓」の間の謎のマークはどういう意味なんだろうか。気になる)


現地の解説板には、この墓石についてこんな風に書かれていました。
「(前略)天保二年(1832)に没し、浅草永住町の東陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移された。墓石には次の辞世が刻んである。
此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら
墓は、区の歴史や文化に関わりの深いものとして、中央区民文化財に登録されている。」


この間違いは私が書くまでもなくまあまあ有名な話だと思ってたんですが、先日ふと気になって「中央勝どき三郵便局の風景印」とかでググったら検索結果がすごい残念な事態になってました。お便り交換とかでこの風景印をもらった人ほぼ全員が「築地月島間渡し船の記念碑」と間違った説明を転記しています。やっぱり本に書いてあることが間違ってるなんて普通の人は思わないし、皆いちいち何が描かれてるかなんて調べてないんだなー。もちろん悪いのはこんな基本的な間違いを放置している本の作り手逹です。
なので一応書きました。局めぐで訪問したら、是非200m先の石碑も見てほしいです。

ありがとうございました。
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