愛媛/フジゆるぎの郵便局

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(確認前のデータ)
・局名由来の由流宜橋
・石鎚山

(使用開始:平成5年6月30日)

東温市です(お久しぶりです)。使用開始時は温泉郡重信町(おんせんぐんしげのぶちょう)でした。いよてつで松山市とつながっていて、ベッドタウンになっているそうです。
ユニークな局名のせいか結構有名な風景印だと思うのですが、私の中では題材の「由流宜橋(ゆるぎはし)」を見に行った人が誰もいない、ということでもまた有名な案件です。
実際どこにある橋なのか、質問してみました。

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「当局の名称の由来の中に少し説明がありましたので貼付いたします」

ということで局名の由来を貼っていただきました。ありがとうございます!↓こちらです。

フジゆるぎの郵便局名称の由来
後醍醐天皇の皇子満良親王が徳威三嶋宮に南朝の武運長久を祈願した時
  はしひめの名のみ流れて由流宜川 徳威のさくら世に匂ふなり
と詠まれたと伝えられている。その御歌にある「由流宜川」は、今の「内川」の古名である。
神社の前方に架かっている欄干の「由流宜橋」は、昔の名残を留めている唯一の名称である。
この「ゆるぎの」は語感がよく雅やかな響きをもっており、この地域とも深い関係がある言葉なので当郵便局の名称に採り入れた由縁である。


上記によると、橋は徳威三嶋宮(とくいみしまぐう)という神社の前方に架かっているそうです。
ということで、最近になって実物を見てきました。
いよてつ梅本駅から南に800m、徳威三嶋宮の南側に「ゆるぎ公園」という公園があります。公園の中を神社の参道が縦断しており、さらにその南側に架かっているのが「由流宜橋」。地図で言うとこんな感じ。


こちらが由流宜橋です。小川を渡る小さな橋。意外と新しくて綺麗でした。


親柱に注目。…ん?平成7年?


現在の由流宜橋は、平成7年に架け替えられたものだそうです。つまり風景印の使用開始時(平成5年)は今とは違う橋だったということですね。ちなみにゆるぎ公園の開園も平成7年です。
昔の橋の写真は残念ながら見つからなかったのですが、一帯の航空写真が掲載されたページを市役所の方が教えてくださいました。(ページ下方、「上空から見た北野田区」参照)
http://www.geocities.jp/ittunjp/index.htm

戦後すぐから近年までの写真が何点か掲載されています(昭和21年、42年、平成2年、9年、13年、16年)。年を追うごとに畑が住宅地になったり国道ができたりと変化していきますが、内川に沿って走る細い道路は昔からあまり変わらず、古い画像にも由流宜橋らしき橋が写っているように見えます。
他、重信町の前身である北吉井村の村誌(昭和13年?刊行)にも「由流宜川」「由流宜橋」という単語が出てきたりするので、橋自体は相当昔からあったものではないかと思われます。

話は戻って、ゆるぎ公園の入り口(撮影者の背中側に由流宜橋があります)。矢印に注目!


この公園、かんぽ融資案件でした。こんな所にも郵便局との関わりが。


公園をつっきって行くと徳威三嶋宮。拝殿の天井に文化財の三十六歌仙絵馬があり、無人でも見ることができます。


その後、局へ寄ってみました。橋から西へ700m、フジグランというショッピングモールの中にあります。局の入り口がすごく小さくて分かりづらいんですが、生活館1階のATMコーナーの横です。


入り口に、ハガキに貼っていただいた解説が掛かっていました。達筆!
ちなみにこの文章は、旧重信町誌の徳威三嶋宮の項目に記載されています。


個人的に「由流宜」という単語の不思議な語感がずっと引っかかっていたのですが、何でも「由流宜橋」「ゆるぎの橋」は、昔の和歌などに度々登場する橋の名前なんだそうです。このブログで何度か参考にしている「えひめの記憶」にも記載がありました。
データベース『えひめの記憶』
この橋の実物が具体的にどこにあったのか、という件に関して、愛媛県内にはいくつかその候補地があるそうです。今でも有名なのは西条市にある西山興隆寺の「御由流宜橋」など。
候補地の中に重信町の橋は載ってませんでしたが、こういうのは各地にちょこちょこあったりするんですかね…。探せば他にも出てくるのかも。

お返事ありがとうございました。
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